照れて髪を触る癖

 

「仮名男ちゃんは、照れるときに髪を触る癖があるね」


ある日、友人にそう言われた。
なんてことはない話の中で友人に褒められて、「まあ、私は天才だからな」と自慢げに返した時のことだった。


図星だったので、ドキリとした。


私は褒められることに慣れておらず、褒められると照れてしまって、しかし照れてしまうことを悟られたくなくてついおちゃらけた振る舞いをしてしまうのだが、しっかりバレていた。


友人は、以前書いた「はらこ飯の思い出」という記事に出てきた人だ。
名前は、そうだな、みぃ子にしよう。
みぃ子は、私のことを仮名男ちゃんというあだ名で呼ぶ唯一の友人である。


私が図星をくらってしどろもどろになっていると、「やっぱり」とまるで宝物でも見つけたみたいに嬉しそうにコロコロと笑うものだから余計恥ずかしくて「違うよ」と言ったきり俯いてしまった。みぃ子はまた鈴が鳴るみたいに笑った。


みぃ子曰く、私は照れ隠しによく髪の毛を触る仕草をするらしい。自分でも気づかなかった癖である。1番触るのは前髪、その次は触るというより髪の毛を後ろにバサッとやる仕草をよくすると言う。ちなみに、私は髪の毛が短いのでこの仕草をやっても髪は全く靡かないどころか手が空を切るので、「いや、出来てないから」と笑われるまでがワンセットの照れ隠しだった。


「みぃ子は、人のことをよく見てるね」と言うと、みぃ子はにやりと笑って「違うよ、仮名男ちゃんだからだよ」と言ってきたので、私はまた思わず前髪をいじりながら「あ、そう」と返すのだった。

 


みぃ子はかっこいい。
見た目は小柄で、柔らかい雰囲気を持っているので大柄でがさつな私と並んでいると周囲からは「深窓の令嬢とSPみたいだ」とからかわれた。私も一緒になってその通りだと嫌味なく笑っていたが、みぃ子はその後2人しかいないときに「私は一人でも生きていけるし、仮名男ちゃんは誰かを守ろうとしなくても良いんだよ」と言われた。
なんだか、恥ずかしかった。みぃ子が何を言いたいか分かったからだ。人を印象で決めつけるのは良くないと、常々思っているはずなのに。
本当に、みぃ子にはきっと私には見えていない色んなことが見えていたんだと思う。

 


その照れ隠しの仕草を発見されてからは、みぃ子といる時に髪を触ると二人でどちらともなく笑ってしまうようになった。


みぃ子は、確かにどこか箱入り娘を思わせるような常識破りなところがあったが、しかしそんなことより、もっともっと大事な部分が美しい気がした。


みぃ子は、けして人のことを馬鹿だとかアホだとか、そういう罵倒の言葉を使わなかった。みんな、周囲のノリに合わせて時にひどい暴言を吐いたが、みぃ子はそんな周りに決して同調せず、ただ微笑みを携えてたたずんでいた。


箸の持ち方や鉛筆の持ち方が少し変わっていると周りに笑われていたけれど、みんなが携帯を見ながら適当にご飯を食べていた時も、みぃ子はいただきますとごちそうさまを欠かさなかった。ご飯を残すこともしなかった。


みぃ子が私の家に泊まりにきたら、来る前より綺麗にして帰る。私より先に起きたら朝ごはんを自分で材料を買ってきて作ってくれるし、冬の寒い日の帰り道に駅前でみぃ子に缶のココアを買ってあげたらすごく嬉しそうに笑って、白い肌を真っ赤にして喜んでくれた。


私は、みぃ子に憧れている。
本人には恥ずかしくてとても言えないけれど、美しくてかっこいい。気高い人だと思った。


みぃ子の好きなところは、かっこいいところもそうだが、けして強くはないところだった。
人は強がりな動物だと思う。辛い時に辛いと言えない時がある。悲しい時に泣けない時がある。
それは私もそうだし、もちろんみぃ子もそうだった。


みぃ子には色んなものが見えていて、色んなことを考えていたけれど、だからといってどんなことにも物怖じしないわけではなく、毎回勇気を振り絞っていて、けれどその震える足を前に出せる強さを持っていた。
みぃ子が泣いたところだって何度も見たことがある。みぃ子は強くない。その辺にいる、普通の人間で、でも泣き崩れたあとに立ち上がって走り出す勇気を持っていた。負けず嫌いで根性があった。


そんな様を数年間、そばで見ていて、私はみぃ子が羨ましかった。


私は泣き崩れたら、きっと誰かに手を差し伸べてもらわないといけない。怖いことに対して、なかなか足を前に踏み出せない。でも、そういう時に手を差し伸べてくれるのは、背中を押してくれるのは、みぃ子との色んな思い出だった。もちろん、他のことだって私の背中を押してくれるけれど。

 


たぶん、こんなこと本人に言おうとしたものなら、私は恥ずかしさのあまり髪の毛を触りすぎて全部毟り取ってしまうだろう。そうして落ち武者となった私は、戦場を彷徨う亡霊と化してゴーストオブツ○マ。なんの話だ。
話が逸れてしまった。
あとゴース○オブツシマは別にそういうゲームじゃない。

 


みぃ子はよく「みんな、変わっちゃった」と言っていた。みぃ子は、どこか変化を受け入れられない子供じみたところがあった。変わるのは当たり前だろうと言うと、寂しそうにしていたが、それでもいつも「でも仮名男ちゃんは変わらないから安心する」と笑うのだった。
失礼なやつだな、毛先が3センチは伸びたし、服装の趣向だって変わったぜ?と文句を言うと嬉しそうに笑われたので、たぶんそういうことじゃないんだろうな、と思った。また、私に見えてないものが見えているのだな。

 

 


私もいつか、みぃ子のようになれるだろうか。
自分の行いを反省する時、いつも思い出すのは彼女の言動だった。
私は、いつのまにか行動の指針を、みぃ子にしていた時期があった気がする。
言葉遣いに気をつけて、礼儀に気をつけて、それでも何回も失敗した。別に彼女そのものになりたいわけじゃない。それでも、彼女のように、ひとりで戦うことを意識するだけで前を向ける気がした。

 


みぃ子は今、遠い海の向こうで頑張っているのでまたいつか、こんなご時世じゃなくなった時に会いに行こう。

 


私は、少しは変われただろうか。
でもきっと、みぃ子はまたいたずらっ子みたいに笑って、それでちょっと安心したように「変わってないね」って言うんだろう。