シャンプー

 

ちょっと不思議な話なので、苦手な方は注意してください。

 

 

他人に頭を洗ってもらうのって、気持ち良くないですか?

美容室に行ってシャンプーしてもらうときの、あのなんとも言えない心地よさ。他人に頭を預けているのに、その絶妙な強弱で頭を刺激されることの快感に思わずウトウトしてしまったり。

 

それで、ある日どうしようもなく気持ちのいいシャンプーをしてくれる美容師に出会ったんですよ。

多忙な生活の中で髪の毛の手入れもなんだか雑になってしまって、髪の毛は伸びきってボサボサで、ある日鏡で見て「あ、みっともないな」なんて思ったりして。美容室に行こうって思ったんです。

ただ、いつも通ってるお店が予約がいっぱいで、仕方がなかったのでホットペッパービューティを眺めながら適当に空いてるお店を選んで、行ったんです。

 

なんてことはないお店でした。

すごくお洒落ってわけでもないし、店員さんも優しくて穏やかそうで、でもちょっぴり派手で陽気な感じがして。本当に、普通だったんです。

私を担当してくれたのは若い男性でした。私もお洒落にしてもらうつもりなんてなかったので、別に気にも留めずに整えてくださいなんてオーダーをして、髪を切ってもらって、それで、シャンプーしましょうねなんて言われてシャンプー台に通されて。

 

なんて言うんですかね。

とにかく形容しづらいのですが、すごくシャンプーが気持ちよかったんですよ。今までウトウトすることはあっても、全身の力が抜けて本当に寝落ちしかけるなんてことはなかったのに、その美容師の手にかかってしまえばそうなってしまうんです。

わあ、すごい上手いなあ、なんて思って。

ただ、散髪の腕は普通でした。

 

家に帰っても、そのシャンプーが忘れられなくて、自分の家の風呂場でその美容師の手つきを一生懸命思い出しながら洗ってみたりしたんですけど、やっぱり人の手でやってもらうのと自分の手でやってもらうって言うのは全然違くて、まあ向こうもプロですから技術的な面でももちろん程遠かったんですけど。

 

で、どうにかこうにか、自分の手を自分の意識から離そうと思ったんですよ。

自分の手を自分の手だと認識しなければ、他人に洗ってもらってる感覚くらいなら味わえるんじゃないかな、って。

 

それから、毎日試行錯誤しました。

一生懸命、自分の手から意識を離して、右の側頭部が痒くなっても素知らぬふりして他のところを洗ってみたり、そんな感じでやってたんです。

2.3日ではダメでしたが、1週間、2週間と続けていくうちに、なんとなく、あ、今これ自分の手じゃないな、って思える瞬間があったんです。きた!と思ってその感覚を離さないように練習し続けました。

 

それで、3週間くらいかな。

やっと、成功したんです。自分の手が自分の手じゃなくなる感覚。自分の意思とは無関係に動き回る手。それはまさしく他人に洗ってもらえてる感覚に酷似していました。

あ〜気持ちいい〜なんて思いながら、洗われていると

 

 

「かゆいところ、ないですかー?」

 

 

って耳元から聞こえたんです。

え?って思って、私驚いちゃって、でも手は私の手じゃないからまだ動いて私の頭を洗ってて。

 

「かゆいところ、ないですかー?」

 

なんでもない声でした。低くも高くもない、特徴のない声。

男の人かな、となんとなく思いました。

でも、知らない人の声でした。

もちろん、自分の声ではありません。

 

私はゾッとして、急いで洗い流して上がろうと思いました。

 

「かゆいところは、ないですかー?」

 

返事をしないほうがいい、と思いました。

すぐに自分の手に意識を戻して、洗うのをやめてシャワーのお湯を出しました。

 

 

「はい、じゃあ流しますねー」

 

 

もうだめでした。

恐ろしくなって、きちんと泡を落とすとかそんなことどうでも良くなって、とにかくガシガシと洗い流して風呂場を飛び出しました。

風呂場の扉を急いで閉めて、ずぶ濡れのまま着替えて部屋に戻って布団を頭までかぶってそのまま寝ました。

 

 

それ以来、私は自分の手で他人に洗ってもらおうとする遊びを辞めました。

あの声は、それきり聞こえてません。