首女

私が幼少期に暮らしていた町というのは都会からそれなりに近くて、小中学校も密集していたので老若男女それなり満遍なく住んでいるような、静かで穏やかなところだった。


ただ、学校が近いことに由来するのかは定かではないが、不審者の目撃情報が相次いでいた場所でもあった。
声をかけられた、肩を触られた、露出狂に会った、奇声をあげて近づいてきた、など。


犯罪者にこういったことを言ってはなんだが、比較的不審者の中でもオーソドックスなものばかりが頻発していた。
その中でも名物と言われるような突出した人物には、子供たちの間で勝手にあだ名をつけて根も葉もない噂が回っていた。


例えば騒音おじさん。
これはあだ名の元ネタがどこから来たのか言うまでもない。
私たちの通う中学校の校庭の裏側に家を構えている中年男性のことだった。私たちが部活動に励んでいると、その家から大きな音が聞こえてくる。何か、とてつもない大音量で音楽を流しているのだ。ロックともポップスとも判別ができないほどがなり立てるその騒音は、聞き慣れればまたやってるよ、と取り立てて話題にするほどでもなかった。
しかし、そこの家主の男性は少し変わっていて、何かあるたび中学校に単身乗り込んできては子供たちや教師に罵声を浴びせるのだった。
一度、野球部の練習試合をしているときにその男性が乗り込んできて、英字新聞とコカコーラの缶を手に持ちながら「うるせーんだよ!」とグラウンドで騒ぎ出したことがあった。


結局、警察を呼ばれて連れられていく、という光景を何度も見た私たちは、お騒がせの意味も込めて騒音おじさんと名付けたのだった。


他にも、自転車をものすごいスピードで走らせながら熱唱しているカラオケばばあ、地域をうろうろして塩を撒く塩かけばばあ、公園で猥褻な本を見せようとしてくるエロジジイなどがいた。


その中でも一際話題に上がっていた、というより不審な人物が「首女」だった。


首女は、町内のいろんな場所に現れる。
4丁目で見たやつもいれば、遥か遠い7丁目で目撃した子もいた。


首女は、別に何もしない。
ただ、立っているだけなのだ。


決まって薄暗い一本道のど真ん中に、夕方以降ただじっと立っている。
首女は、女性にしては背が高く、しかしさして特徴もない見た目の肩より少し下の髪の長さと、普通の女性が着るような服だった。別に浮浪者のようにボロボロの衣服を着ているわけでも、突端な見た目をしているわけでもなかった。

 


奇妙なのはその首の角度だった。
道路の真ん中に立っているのも不気味だが、首女は常に首が曲がっていた。
ひょろりとした高い背の一番上にちょこんと乗ってる小さい顔は、まるで不思議そうに首を傾げる動作をするみたいに、いつも必ず横に傾いていた。
そうして、動きもせずに道路の真ん中でじっと立っているのだった。


私たちの間では、首女に出会ったらみんな怖がって道を変えたり、戻っていなくなるまで暇を潰したりするので、首女が実際どんな人なのかは知らなかった。


ある日、給食の時間に班のみんなでそんな話をしていた時のことだった。
向かいの席のMくんが言った。


「俺、そいつに昨日会ったわ」

 


Mくんは陸上部だった。
ちょっと生意気だけど、みんなから好かれる面白い男の子で、首女の話も知っていた。


部活の帰り道、18時も過ぎた頃にその女を見た。
T字路の交差点で、右を曲がれば家までもうすこしというところで、そいつはぽつんと立っていた。
あ、首女だ。
Mくんは一目で分かったと言う。


みんないつもなら道を変えたりするが、Mくんは生意気盛りの中学生だった。
どんなやつか、確かめようとそのまま歩みを進めたのだ。


ズンズンと歩いてそいつに近づいていく。
近づくに連れて、だんだん首女がどんな様子で立っているのか見えた。


まず、首女の顔はMくんが向かってくる方を向いていたため、Mくんが来ているのは見えているはずなのに、首を傾けたまま微動だにしなかった。
やはり、背は高かったと言う。
Mくん自身、男子の中では小さい方だったがそれでも165cmほどはあった。そのMくんより高かったらしい。


さらに近づくと、奇妙なことが分かったと言う。
Mくんはそこで、なんと言っていいのか、という形で言い淀んだ。私たち班のみんなは給食を食べる手を止めて聞き入っていたので、早くしろと急かす。それで、どうなったんだ、と。


「まずさ、あいつ、女じゃなかったんだよ」

 


首女は、よく見たら男性だったらしい。
遠目から見ても細い感じだったから、わからなかったらしいけど、近づくに連れて完全に男だったと言った。
そのぐらいで怖くなった、とMくんは恥ずかしそうに言った。
なんてことない女性の格好をして、夕方の薄暗い道路の真ん中に、首を傾けて立っている男性。
顔も、笑っていたり、怒っていたり、そんな風でもなくただ無表情で立っているだけなのだと。


Mくんは流石に身の危険を感じてそこで踵を返して逃げたらしい。

 


こんな話を、大学のサークルで話した。
ちょうど、大学の近くで不審者が出たことから派生した話題だった。
みんな割と怖がってくれて、怖いねーなんて言いながら帰り道を歩いていた。


みんなとは駅で別れて、私は一人暮らしをしているアパートへと歩き出した。
その不審者多発地域からは離れて、今は違う県で一人暮らしをしていた。
懐かしい思い出だったな、なんて思いながら歩いていると、アパートの通りに誰か立っていた。

 


首女だった。

 


いや、正確には首男か。
私は首女に会ったことがなかったが、一眼見て、あ、首女だと分かった。
もう夜になると言うぐらいの暗がりを電灯が照らしていて、その電灯と電灯の間の暗闇にぽつんと人がいた。
小綺麗なシャツとセーター、プリーツスカートを履いて、首を傾けて立っていた。

 


私はパニックになった。
どうしているんだろう。そう思った。
首女がここにいるわけはないのだ。私が昔暮らしていた遠い地域の話だから、と言うわけではない。


あの話自体、そもそもサークルのメンバーを脅かそうとして話した嘘だったからだ。
もちろん、首女以外の不審者は本当にいたし、首女だけが嘘だった。Mくんだって、地元の友達の一人にいる。
でも首女にまつわる話の全てが、私がその場ででっち上げた嘘だった。


だから、いるわけない。いてはいけない、とおもった。


首女とは距離が遠かった。
だから、あの嘘のように、本当は男だと言われればなんだかガタイはそんな風にも見えたけど、私にはそれを確かめる勇気はなかったので、そのまま駅に走って戻って、時々後ろを振り返って、首女がまだそこに立って動かないでいるのを確かめて恐怖と安堵が混じりながら、とにかく走って適当な電車に飛び込んで街中へ逃げた。
友達数人呼んでカラオケに誘って朝まで騒いで、なんやかんや理由をつけて友達を家に連れて行き、あの道に首女がもういなくなっていることを見て、やっと肩の力が抜けたのだった。

 

 

 


「っていう怪談考えたんだけど、どうかな」


私はそこまでひと息に話して、友達の反応を待った。


「どこまで本当なの」


友達が言う。


「不審者多発地域に住んでいたこと、首女以外の不審者は本当。あとは作り話」
「よかった」
「当たり前じゃん。恐怖体験なんてそうそうないよ」
「違うよ」
「え?」
「あんたの話、首女が出てくるけど、不気味なだけでみんな近づいたり関わったりしてないでしょ」
「うん」
「出会ったらどうなるか、決めてないならいいの」
「どういう意味?」
「いいの」
「なにが」
「もう考えるの辞めな」
「つまんなかった?」
「違うの」
「じゃあなんでそんなに怒ってるの」
「その首女、私の地域の本当にいる不審者と同じ特徴なんだもん」