冬のある日
たくさん雪が降った日があった。
それがいつだったのか、ぐるぐると周る時計の針に負けないように生きている私はもう覚えていない。
ただ、雪がたくさん降ったことだけを、うすらぼんやりと覚えていた。
次の日、毎日通る道の脇に白い塊が二つ重ねてあった。
雪だるまだ、とワンテンポ遅れて気がついた。
正確には、おそらく昨日は雪だるまだったものだった。雪の降った日の翌日、とてもよく晴れたので、道には雪の代わりに水溜りが残っていた。革靴がぴしゃりぴしゃりと水を叩く感触があったことを覚えている。
溶けて顔が崩れてしまった雪だるまは、ただそこに置いてあった。
その次の日も、またその次の日も、私はその雪だるまが溶けていく様を眺めながらその道を通った。
案外、雪だるまというのはすぐには溶けないようだ。
ただ、確実にひと回り、ふた回りと縮んでいた。
日頃の疲労の蓄積なのか、晴れた空の下をもやがかかったような脳みそで、錆びついた身体をぎりぎりと無理やり動かして歩いていた私は、昔読んだ話を思い出した。
病室から見える枯れ木を眺める子供が、「あの葉が落ちた時、自分は死ぬだろう」という話だった。
この雪だるまが消えてなくなる頃には、私も限界を迎えて溶けて消えてしまうのかもしれない。そんなことを考えて、いつもの道を通り過ぎたのは、雪が降って何日目の朝だったか。
それから、今度は雪だるまが小さくなるたびに私の心に少しの解放感が生まれるようになった。この雪だるまさえなくなれば、私も楽になれるかもしれない。そう思って毎日歩いた。
ある日、もう雪だるまも無くなるだろうという頃に、あの雪だるまは初めて見た時よりもとても大きく、ずっと背を伸ばしてそこにいた。
連日連夜、雪が降り続いたのだ。
突然のことだった。
また同じ道を歩く。
溶けきらない雪がアスファルトを白く覆い尽くして、革靴はサクサクと鳴った。
吐く息がマスクから漏れて白く空気を染めて、手は赤く染まり、かじかんで動かしづらい。
雪だるまは歪な笑みを浮かべて、ただそこにいた。
それを見て、どうにもおかしくなって、笑いが込み上げてきて、マスクで隠れた口元がくっと上がった。
雪だるまに己を託すなど、なんて無責任で身勝手か。雪だるまのせいにして、自分が楽になりたいだけだったのだ。
雪だるまはただそこにいただけなのに、いい迷惑だな。私はもう通り過ぎて、遥か後ろでただいるだけの雪だるまを思い出してまた笑いそうになった。
小さい頃、雪が積もるたびに雪だるまを作ろうとしたことを思い出した。
昔やってたゲームではあんなに簡単に作れたのに、現実では意外と難しいな、なんて思ったものだ。それでも楽しかった。どんどんと雪をつけて大きくなる雪玉に胸が高鳴った。
もう雪が降っても雪だるまは作らない。
くたびれた身体には、もうそんな体力は残っていなかった。
それでも道端の、作者不明の雪だるまを思い出して、少し背筋を伸ばして、前を向いて歩いた。
寒さが心地よく感じたのは久しぶりだった。
思わず、走り出したくなった。