硬筆の思い出

私は字を書くのが苦手だ。


しかし、字を書くこと自体は好きだった。
何をもって苦手としていたかと言うと、とにかく周りの友人に比べて字が下手だったのだ。

 

幼い頃、交換ノートやプロフィール帳が流行ったときも、書くこと自体は楽しかったが、ずらりと並べられたとき他の子たちの綺麗で読みやすい字の中に私の金釘文字が異物のように紛れ込んでいて、いつも恥ずかしかった。

 

書道の授業も好きではなかった。
毛筆はそもそも準備が面倒だし、後片付けも面倒だし、字も下手だし、良い思い出が全くない。
硬筆は比較的マシだったが、それでも字が下手だったし、学校で教えられたとめはねはらいなんかの法則が無視されている字ばっかりでしゃらくせえ奴だと思っていた。おかげで下手な字に変な癖がついた。癖のある字に癖がおまけされたらそれはアクセントでもなんでもなく過剰装飾となり、ただただ読みにくい字となった。

 

そういえば硬筆の時に、右から左に書くと利き手が汚れるのが嫌で逆から書いていた。それを見た国語の教師が「いるんだよな、こういう奴」とクラスに聞こえるように吐き捨てた。その教師は当時所属していた部活の顧問だったのだが、就任当初からいけすかない男だと思っていたのでいけすかない人間に屈辱を味わされたことに腹が立った。私はその後、硬筆の時間は丁寧に取り組んだりせず、ミミズののたくった字でずっと遊んでいた。私も嫌な子だったとは思っているが、あの教師のことは好きではないので今でも硬筆の授業は好きではない。もう受けることはないが。

 


小学生の頃、似たような字を書くとパクリ疑惑というのが女子の間でしばしば起こった。誰々ちゃんが私の字の癖をパクった、と怒り、相手はパクってないと言い張り、水掛け論。外野は双方の字を比べて身びいきする方を選んでそっちの側についていた。
くだらねえなあ、と思っていた。

 

ある日、母親も字が下手だったことを聞いた。
意外だった。
母の字は極端に丸くデフォルメされている書体で、お世辞にも綺麗だとか丁寧だとか言えるような字ではなかったが、読みやすさはしっかりと備わっていた。
下手じゃないよ、と私は答えた。
すると母は練習したと言う。どんな練習をしたのか、と聞くと母はこんな話をした。

 

母親が女学生だった頃、母親は教師に名指しで字が下手であることを揶揄されたらしい。母は負けん気が強かったので、とても腹が立ち、それから字の練習をしたらしい。
その練習というのが、その揶揄してきた教師の字をひたすら写して字体をそっくりそのまま真似たらしい。それを教師に提出して「先生の字そっくりでしょう。先生はみんなの前で私の字を笑うくらい上手なのだから、真似させてもらいました。どうですか」と言い放ったらしい。

 

ひでえ母親だな、と思った。
なんというか、この親にしてこの子ありだ。

 

だが、それは良い案だな、とも思った。
しかし好きでもない教師の字体を模写するなんて嫌だと思ったので、身近で字が綺麗で読みやすくて、パクったなんて言われないような字を探すことにした。


そして、教科書の字を真似することにした。
私は好きではない国語の教師の時間にひたすらルーズリーフに教科書の字を真似して書いた。

 

結局、生来の飽き性が災いしてすぐ辞めてしまったのだが、写経の成果なのかそこそこ読める字にはなれた。

 

字を書くのは楽しい。


ペンを握って、紙に触れて、するすると文字が生まれていくあの流れる様が好きだ。
ひらがなだとゆが好きだ。あの曲線が楽しい。ふのメリハリボディも捨てがたいが、ちょっと書きづらいのだ。
カタカナは難しい。あの子たちはシンプルだ。シンプルというのはつまりバランスを取れる機会が限られるので金釘文字が露呈する可能性が高くなってしまう。カタカナの前で私は無力に、そして無防備にアンバランスを曝け出してしまう。ナなんて二画しかないくせに、直線と左曲線で私をズタボロにしてしまう。

 

そういえば、昔、私より字が苦手な友人がいた。


授業を休んだ時にたまたまノートを見せてもらったのだが、なんて書いてあるか読めなかった。しかし、友人から借りている手前、なんて読むの?とは聞きづらかった。だからといって別な子に改めて借りるのも失礼な話だ、と思い、意を決して聞いてみた。

 

「ここ、なんて書いてあるの?」
「さあ?逆になんて書いてあると思う?」

 

そんなことある?と思ったが、なんだか面白くなったので私たちはそのまま休み時間にまるて古文書を解読するみたいに、友人のノートを検証し始めた。


ここに曲線があるから、これは波の字ではないか、いやでもそれだと文脈がおかしい、など、私たちは完全に研究員だった。楽しかった。ノートは結局別な子に借りたし、授業を受けたはずの友人も書き直していた。意味のない板書だ、と笑っていた。

 


字が上手いことばかりが良いと思っていたが、下手なら下手で楽しいことはあるし、字を書くこと自体の好き嫌いとは全く関係ないのだなあ、と思ったのだった。