翼を忘れた小鳥へ

 

今朝、道中で有料駐車場の脇を通った。よくある四方をフェンスで囲われたものであったが、そのフェンスの内側の、さらに隅っこでなにかが動いているのを見つけた。

 

小鳥だった。

私は、鳥は雀とカラスしかわからないが、そのどちらでもないようだった。手乗りほどの小さな鳥だった。

 

鳥は、よちよちとふっくらとした身体に分不相応な細い脚を動かしてフェンスの端をうろちょろとしていた。

なにをしているのだろう。

少し離れたところから、私は足を止めてそれを眺めることにした。

 

観察していると、どうやら小鳥は駐車場から出たいようだった。

駐車場に入ってしまったは良いが、出方がわからないのだろうか。四方のフェンスの下にある隙間に頭を寄せて見たと思ったらパッと諦めて顔を上げてよちよち別なところは歩いてみたり。

とにかく、出口を模索していた。

 

なんとなく、微笑ましい気持ちになった。

確かに小鳥にはフェンスはそびえ立つ大きな壁であり、抜け道といえばその下の僅かな隙間しかないだろう。

がんばれ、と心の中で励ましの声をかける。

 

 

そこで、はた、と思いついた。

 

鳥なら、羽があるじゃないか。

 

少し遠い場所から観察していたので断言はできないが、別に羽を怪我している様子もない普通の小鳥だったので、ますます不思議に思った。

もしかして、飛べないのだろうか。

 

小鳥がフェンスの下の隙間から顔を出して引っ込ませる、という過程がもう軽く10回ほど繰り返されていた。

私は、あの子を鳥として認識して、鳥は羽を持って飛べる生き物として決めつけていたので、飛べば良いのにと思っていたが、別に鳥だからって飛べなくても良いな、と思った。羽なんてなくてもあの小鳥は一生懸命知恵を絞って、駐車場という鳥籠から出ようとしていた。飛べば良いだろうと、当初の私のように笑う者がいるかもしれないし、鳥なのにどうして羽を使わないのかと責める者がいるかもしれない。

それでもあの小鳥は、小さくて細い脚で一生懸命生きていた。いや、別に羽を使わないことなんて、飛ばないことなんてあの鳥からしたら知らないことなのかもしれない。どうでもいい、とるにたらないことなのかもしれない。

なんだか、それがたまらなく素敵で、心に穏やかな炎が宿ったようにぎゅうとあたたかくなった。

 

結局、私が遅刻してしまうのであの小鳥の勇姿を最後まで見届けることはできなかったが、生命がどんなものであれ己の力を使ってもがき、あがき、たくましく動くことは美しいのだと、改めて教えられたような気がした。

 

ありがとう。

 

 

 

 

結局電車に乗り遅れて遅刻した愚図な人間より