夜と空腹についての所感

夜も深い時間帯に、お腹が空いて起きてしまった。
腹がぺしゃんこの空き缶のように凹んでしまって、背中の皮とくっついてしまうんじゃないかと想像してしまって、気分を悪くする。


思わず腹を抑えてみれば、途端に苦しそうにぐうと鳴く。もしかして私は、腹にもののけでも飼っているのではなかろうかと不安が過ぎる。

 

夜という空間は、人にくだらない不安を抱かせる。人を変な気分にさせる。閉めたカーテンの隙間から漏れ差す月明かりに、不思議な力でもあるんじゃなかろうか。

 

そういえば昔、猫が月を眺めている時は不吉だから殺せという言い伝えがあったそうだ。猫からしたら迷惑な話だ。月を眺めていただけで殺されたら、それこそ化け猫にでもなって祟られるんじゃなかろうか。自分が怖いからって猫にまで危害を加える人間様というのはたいそうご立派なご身分であらせられる。

 

なんにだってそうだ。生物の頂点であるような面構えで無遠慮に他生物を蹂躙したり、自分に利益があれば可愛がったりする。身勝手な生物だ。たちの悪い。

 

こんなふうに、夜というのは大抵、朝目覚めた頃にはとるにたらないと感じるようなことを、まるで人生の一大事みたいに思い悩んでしまう。

 

では、夜は悪か。


夜は悪ではない。ただ、時間の流れでしかない。朝の日差しに当てられて、くだらないと笑ってしまうような思いや悩みも、悪ではない。

では、夜は何か。


夜は安らぎの時だ。安らぎというのは不思議なもので、人を柔らかく包み込むはたらきを持ちながら、人はその柔らかさ故に変な意識が働き出すのだ。


昔から月の灯りは人を惑わすと言い伝えられていた。それほどに魅力的な光なのだ。夜、世界がとぷりと藍色に浸される中、淡く、朧に、しかし凛と輝く月灯りに照らされて夜道を歩く時の清々しさを思い出す。するりと頬を撫で、髪を揺らす夜風に優しさを感じる。

 

朝だって、真昼だって、夕方だって素晴らしい時間であるけれど、夜は、もしかしてあの暗がりに薄ぼんやりと灯りが浮かび上がる対比こそが他の時間帯にない妙なのかもしれない。真昼の空は眩しすぎて、光が見えなくなってしまうのだから。

 

そんなことを布団にくるまりながら悶々と考えていると、腹の化け物が急かすように鳴いた。空腹に怒っているのか、地響きのような鳴き声だった。

 

のそりと布団から這い出て、キッチンへと足を向かわせる。何か、食べ物はあっただろうか。冷蔵庫を開けてみる。
しめた、昼飯の残りがあった。
昼時の自分に感謝する。
にんまりと口を三日月に歪ませて、いそいそと食卓に残り物を並べる。

 

私は飯を食うことにあまり頓着がない。なので、よく食事そのものを忘れることがある。もしかしたら、そんな私を見かねて、腹の化け物が空腹を教えてくれているのかもしれない。そう思うと、なんだか愛しい奴だなと思った。
しかし、そのくせ私は食べ物の好き嫌いを人一倍持っている、どうにも厄介な人間だった。

 

少し前に、テレビで流れていた番組でバンジージャンプを飛べなければ帰れないという企画がやっていた。参加者はみな一様にバンジージャンプができない人々で、口々に自分ができないこと、そしてこの役目を誰かに押し付けようとする理由を捻り出していた。


私も、苦手な食べ物を食べるまで帰れないと言われたら、そうかと頷いて石のように動かず、けして口にすることはないだろうな、と思った。できない、ってそういうことだ。やりたくなければ、やらなくたっていいじゃないか。やりたいと思うならやればいい。私は食べたくない。

 

飯を口に運びながら(腹の化け物の欲求を満たすだけの行為なので、味わいなどしない)、そんなくだらないことをぽつりぽつりと心に浮かばせていた。


たぶん、こんなことも朝起きたら馬鹿だなあと笑ってしまうようなことなのだろう。夜の私は、こんなに真剣なのに。

 

食べ終わり、洗い物を片付けて寝床へ向かう前に部屋で少し休みを取る。
食べてすぐ寝ると牛になる、と昔の人間は言っていたものだが、実際のところどうして牛なのだろう。馬でも豚でもいいだろうに。スマホに指を走らせて、由来を調べてみる。

 

ははあ、牛には食べてすぐ横になる習性があるそうだ。ほーん、ふーん。唇をにゅう、と尖らせて信憑性があるかどうかもわからない記事を眺める。


なるほど、そりゃあ牛が妥当だな。
しかも、どうにも食べてすぐ横になることは健康にいいことらしい。本格的に寝るのは消化を悪くするのでいけないらしいが、横になること自体は医学的に推奨されているのだとか。
たいして真偽も調べずに、なるほどね、とその場で横になる。ははあ、私は今健康的な行いをしているのだろうか。こんな時間に起き、食事をとっていることそのものが不健康でしかないというのに、それを補うように行き当たりばったりで健康法を試す愚かな牛。それが私。心の中でモウ、と鳴いてみる。夜なので、そんなどうしようもないことで楽しくなって笑ってしまった。監視されていたら、突然横になって笑い出した奇妙な人間でしかない。それがもっとおかしいと思った。

 

笑ったら乾燥で、口の端が切れた。

 

慌てて飛び起きてリップクリームを塗る。さっきまであんなにおかしかったのに、鋭い痛みにしゅんとしてしまった。

 

しょんぼりと頭を下げた目線の先に、満足そうな腹が見えた。満足したかい?心の中で腹に問いかける。返事はない。この化け物はいつもそうだ。空腹とあらば、どんな時も私の意思など無視してがなり散らすくせして、一度欲求が満たされればこちらを無視するのだ。

 

しばらく録画番組を見たり、ぼうっとしたり、無為に過ごしていると、腹が切なそうにきゅうと鳴いた。
いわゆる、消化音というやつだな。
マイペースなやつだ。


このように、夜中は人を恐ろしく不思議な妄想に走らせる。
胃袋の活動を擬獣化し、愛憎交えて接する。ただの食事でしかないのにも関わらず。

昔の人も、こんなことを考えて妖怪を生み出していたんじゃなかろうか。


人工的な蛍光灯の明かりの下で、ごろりごろりと転がりながら、全く無意味で非生産的なことを思い浮かべる楽しさは、たぶん夜ならではの楽しみ方なんじゃないだろうか。昼の私は、もう少し、ほんのちょっとだけ理性的だから。

また腹からか細い鳴き声がした。私もつられてモウ、と返す。

 

 

さて、モウそろそろ寝ようか。