なぜ猫と暮らしている人間は、愛猫をぴーちゃんと呼ぶのか
私の友達のPちゃんは、一緒に暮らしている猫のことをぴーちゃんと呼ぶ。
開幕からややこしい話をしてすまない。
人間の方がアルファベットのPちゃん、猫の方がひらがなのぴーちゃんである。
猫の本当の名前は全く違う名前である。ぴーのぴの字も見当たらない名前だ。
最初の頃に「なんでぴーちゃん?」と聞いたことがあるが、神妙な顔をしたあと「なんでだろうね?」と聞き返された。
Pちゃんは語る。
「ぴーちゃん、歩いても寝てても可愛いんだ。歩いているだけで可愛いって、もう神の域なのではないか?神域の猫?」
私はその熱量の10分の1ほどの冷めた心でそれを聞いている。けしてつまらないわけではないし、愛する家族の話を聞かせてくれるのはむしろ楽しい。ただ、やはり猫と暮らしている人間とそうでない人間にはどうしても熱量に差が出てしまうのだ。
Pちゃんは朝に弱いのだが、ぴーちゃんは朝飯欲しさに早朝にPちゃんを叩き起こすらしい。それを嬉しそうに「何されても許しちゃうんだよなぁ〜〜」と話すPちゃんは幸せそうだ。先月、徹夜でやろうと始めた麻雀を開始1時間で寝たPちゃんを起こそうとした私に寝ぼけて足蹴りをかましたことを、彼女は覚えているのだろうか。
ちなみに、Pちゃんと話していてお互いの意見が分かれた時に、私たちはどちらともなく「お?なんだ、戦争か?」と脅しをかけることがよくある。ぴーちゃんに向けられた愛と優しさがあれば、私たちの間で争いは起きないのではないか。ラブ&ピース。
そういえば、と思い出す。
私の幼馴染みも猫を飼っていた。仮にその幼馴染みの人間をギガとする。
ギガも愛猫のことをぴーちゃんと呼んでいなかっただろうか?
猫と暮らしている人間は、わざわざ猫に名前を付けておきながらぴーちゃんの二つ名をつける共通の習性でもあるのだろうか。
といっても、私の周りで猫と暮らしている人間はこの2人しかいないので、すべてに共通するとは言い切れないが。
これはおもしろいテーマなのではないか?
私の中の好奇心がぐつぐつと煮えたぎっていく。
「なぜ猫と暮らしている人間は愛猫をぴーちゃんと呼ぶのか」
早速調べてみよう!と意気揚々とギガに連絡を取ってみる。連絡を取る、と言ったがそもそも私とギガは10年間毎日メールのやり取りをしているので、話題提起でしかないのだけれど。
ギガは頭が良くて物事をハッキリ話すので、何か貴重な意見が聞けるかもしれない。そうしたら、その意見をPちゃんに話して考えを深めていったら楽しそうだ。
「なんで猫と暮らしてる人って猫のことぴーちゃんって呼ぶの?」
「は?呼ばねえよ」
呼んでなかった。