夏と思い出と待ち合わせ

 

人を、待っている。

 

気が滅入るような湿度と、身体がじわじわと蒸されていくような暑さの中で、大して涼しくも心地よくもない、それでいてせっかくセットした髪を乱すくらいの生温い風が身体をすり抜けていく。
木々も鮮やかな緑色に姿を変えて、空もグッと高く、青く眩しくて、白い雲がよく映えていた。


憂鬱な気分とは真逆の浮かれた南国柄のシャツを着て、ぼけっと前だけ見て歩きながら、このカフェに着くまでの道中ずっとそんなことを考えていた。

 


夏は好きじゃない。
部活を思い出すからだ。


こう話すと、部活の青春を思い出すからだとか、先輩や後輩と別れる最後の大会の季節だもんね、などと微笑ましい顔をされるが、冗談じゃない。そんなナイーブな感性で部活なんてしてたら殺されるぞ。


私は、三度の飯より部活動が嫌いだったのだ。
しかも、身体が育つからと三度どころか四度も五度も飯を食わされるのでたまったもんじゃない。そういうところも嫌いだった。


私のいた部活動というのは、どうにも年功序列の甚だしい醜い組織で、上のものの命令は絶対だった。どんな暴言を吐かれてもスミマセンと無駄に大きな声で謝り、じっと耐えて自分を殺さなければいけなかった。
小学生から高校生まで、ずっとそうだった。


しかも、小学生の頃のクラブチームがそのまま地元の中学に持ち上がりで入ることが多かったので、地獄は続いた。なんであの部活に入ったのか、昔の自分に疑問である。


細田という巨漢が二つ上にいた。
細田は、「名は体を表す」という日本語をその巨体で潰すが如く、我々の年代にしては大きな身体をしていた。


断じて言うが、体型を揶揄して悪く言っているのではない。体型なんて本人の事情や好みがあるのだから、他人が口を出していいものではない。私は、とにかくこの細田という男の性根の腐った性格が憎くて仕方なかったのだ。


細田は図太かった。性格が、だ。
細田は口が悪かった。
歩いているとノロマと罵られ、動きが緩慢だとデブと言われ(てめえに言われる筋合いはない)、発言すると黙れ、死ねと言われた。そのくせ自分はよくサボっていた。


私は細田が嫌いだった。
早くいなくならないかな、と思っていた。
幸いなことに細田は私の二つ上で、うちは弱小だったので、入部して二ヶ月もすれば最後の大会で初戦敗退してくれる。私は今か今かと最後の大会を待った。細田、早く消えてくれと毎日祈っていた。


もちろん、初戦敗退した。
なんというか、真剣に部活動に勤しんでいた面々には大変申し訳ないのだが、私はしんみりとした空気の中、誰よりも浮かれて踊り出しそうなくらい喜んでいた。笑みがおさまらず、泣いてるフリをして下を向いてじっと我慢していた。


そもそも、細田以外の諸先輩方もろくでもなかった。部長と副部長を除いて、根性の悪い鬼しかいなかった。
ひどい部活だった。
高校に上がって環境が変化してからも、顧問にたいそう嫌われて部活を引退するときに淡々と説教された。

 


まあ、ここまで話してて自分でも実感するが、たぶん私のように捻くれてて陰険で、媚びへつらうのが苦手な無愛想人間は、運動部に向いてないのだ。素直で、いつも笑顔で、冗談も言えるような奴は、スポーツの上手い下手に限らず可愛がられていた。私は絶望的に愛想がなかった。嫌いな相手にぴくりとも笑いたいと思わなかった。
そういうところがダメなんだろうな。


部活動全般が悪いわけではないのはもちろん知っている。でも、部活動に全くいい思い出のない(同級生には恵まれたのでいい友人がたくさんできて感謝している)私は、とくに活動が盛んになるこの夏という季節が、どうにも部活動の嫌な記憶と重なって憂鬱になるのだ。夏は何も悪くないのに。


汗をかいているグラスを、もうすっかり汗のひいた私が飲みながら、待ち合わせ時間までの暇つぶしに入ったカフェでそんなことを考える。


そういえば、人を待っていたんだった。
この日記を打っている画面の上部に待ち人からの連絡が来て、はたと気づく。
そうだ、そうだ。


途端にワクワクとした気持ちが蘇った。
くだらない記憶に囚われる必要はない。
今、私は幸せだ。


早く会いに行こう。